強くしなやかに

   誰でも恩人やメンターと呼ばれる存在がおそらく1人はいるのではないかと思う。私もそのような方々に巡り会い導かれながらここまで来られたと思っている。以前は自信も心棒もないフラフラの自分だったが、観じる視点や考えは否定されることなくむしろ強化され、精神的に自立できたのもそんな方との出会いのおかげである。
  また他人には到底説明のできない感覚を受けとめ理解していただけることへの有難さ、感謝と尊敬の念は計り知れない。
  その純粋な思いを、知ってか知らずか礼節をわきまえない干渉や支配があって歪まされる。仮にそれを更に捻じ曲げられて伝えられていたとしたら…言語道断、迷惑千万としか言いようがない。
  同時に自身に問うてみる。どのような事態も人も受け入れる揺るぎない度量はあるか?周囲の人に対しelegantなrespectと愛を持って接しているか? この問と言語道断と思う気持ちは相反するもので、その狭間で揺れ動く。自分を殺しじっと耐えながら、心を見つめ直す。弱さにも向き合った。当たり前に思っていた思い癖にもメスが入り、今までの常識は非常識となって行く。進んでいる方向は正解はなのか?わからない…そんな中、追い討ちをかけるように、克服できたと思っていたトラウマが蘇り襲い来る。結局全てを放り更に自分を殺すしかなくなってしまった。苦しいし悲しかった。何故苦しいのか?何故悲しいのか? どんなに綺麗事を言ってもそれは「自分の欲」が勝っているからである。
  散々苦しんだ末に苦しさの中から炙り出されるように現れた心は、限りなくシンプルで、今までと何一つ変わらないものだった。
そう。細くしなやかに伸びる枝先までしっかり葉をつけ悠然と構える常緑の大樹のように…それはずっと前からそこにある。ただそこにあるだけ。
  心はより輝きを増してもっと強くしなやかであれ!
  常に「今ここ」を生きて行こう!
やっとそう思えるようになった今日この頃である。

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